今日は暑かったですね。暑くなるとすぐに地球温暖化とか、環境がああだ、こうだ言われるが、実際のところどうなんでしょうね。ゴミどうやって処理しているんですか? リサイクル、実際やっているんですか? トヨタ自動車作りまくってますよ。ユニクロ洋服いっぱい作ってます。両者の製品愛用してますけどね。一般庶民は事実がわからないというのが、本当のところなのでは?
さて、オイラは学生時代、もしくは社会人になり始めて数年。まさか徹夜してでも仕事をするようなことになるとは思ってもいなかった。こんなに仕事に打ち込む(仕事が遅いだけ)とは思ってもいなかった。ではなぜ、そうなってしまったのか? それはわからなーい。自然とそうなってしまったというしかない。仕事が終わらないからやるしかないというのが事実だと思う。でも、一度、徹夜なり、何なりすると慣れてくるんでしょうね。人間は環境に適応する能力がありますから。その適応能力が弱い人は、去って行きます。オイラはたまたま適応しただけだと思います。ただ、会社には適応できなかったから辞めたのかも……
オイラは学生時代はテレビマンに憧れていた。芸能人に会える。まぁ、ミーハーだったのかもしれない。けど、なれず。そんで、コピーライターという仕事があることを知り、それに憧れ、そういう関係の専門学校へと行った。けど、そこではほとんど勉強することもなく。ダラリと過ごす2年間だった。しかし、マスコミ関係に就職は希望していたので、そういう仕事に就くことの心構えなどは、先生から耳がタコになるくらい聞かされた。それは「一度足を踏み入れたら、抜け出せなくなるから」ということだった。それは悪い言い方をすればマスコミはヤクザのような世界だと言うことらしい。学生のオイラにはよく意味はわからなかった。
それで就職。たった1社受けて、あっさりと受かった広告代理店へと入社。不思議なことにオイラはいつも上司? 先輩に恵まれる。それは学生時代にバイトしていたときもそうだった。いつもスナックに飲みに連れて行ってもらい。歌を歌い。スナックのママにウチで働けと言われながらも、2年間飲食店の厨房でバイトした。学生にも関わらず100万くらい貯金があった。別に欲しいものはなかったけど、毎日のようにバイトした。多分、仕事がおもしろかったのだと思う。子供の頃はコックさんにも憧れていたから、そういう仕事は向いていたのだと思う。社員になっちゃえとか言われたりもした。しかし、断って、広告代理店へ……
そこでの上司は、路線が同じだったし、仕事がとてもできる人だった。基本的にはやさしかったが、たまには厳しく叱られた。その会社でもオイラは変人扱いだった。始めてファクスを使ったのもその会社だった。最初は使い方知りませんでした。恥ずかしい。いまどきではないと思うが、お茶酌みをしたり、新人の仕事は雑用が基本だ。広告代理店と言えば、来こえばいいが、扱うものは求人広告ばかりだ。毎日、70件ほどの飛び込み営業。小さな会社であれば社長、ちょっと大きな会社であれば人事部長。飲食店とかなら店長。新卒の世間知らずに、そんな人たちと何が話せるのか? ほとんど何も話せません。冬なんか、いざ、営業に飛び込んだはいいが、寒さで口がかじかんでいて、マジで何も話せなかった。恥ずかしい。
そこでは何の成果もあげることなかった。チラホラ仕事は取ったが、給料以上は稼げた試しはない。そして、さっさと辞めました。次の会社でも上司には恵まれた。そこは例の社長がいる出版社の子会社で、物販の会社だった。時計やライター、雑貨品を販売する会社だった。一応、オイラは広報という役割で入社した。そこでの上司は酒飲みのちょっといい加減な人だった。追い込まれないと仕事をしない。そのダメっぷりな人のスケジュール管理をすることが、後々に役立っている。その上司は仕事をすれば素晴らしいものに仕上げた。時間内にやりゃいいんだよ! という感じ。酔っぱらって電話ボックスの中で寝るような人だった。その人も通勤の沿線が同じ路線だったりするのが奇遇だ。酔っぱらいの介護もそこで覚えた。
そして、半年後、恐怖の人事異動。本当はとある編集部に空きができたから、そこの補充と言われていたのだが、移動した当日、お前の席は今日からここだ! と直々に社長から言われた。話が違う。そして、今日から会社の引っ越しをするから、よし、来い! という流れで昼飯であった。翌日から肉体労働の日々が始まるとは思ってもいなかったが、結構楽しい日々でもあった。本とか写真とか運んだことがある人はわかると思うが、本当に重たい。それを何千、何万という数を毎日毎日、都内某所から、某所まで運ぶ。さらには、本当に貴重な資料などもあったので、そういったものも慎重に運ぶ日々。
その社長はとにかく秘密主義な人だった。貴重な資料はとにかく他の社員には見せないし、会社とは別に資料室があって、そこは本当に宝の山だった。もう、マニアが見たら本当にヤバイものばかり。フライトジャケット、ジッポー、時計などなど、それはそれは、普通の人では見ることができないものだ。しかもどれも本物ばかり。とても貴重な体験だが、フライトジャケットなどは、戦争で着たものだし呪われているんじゃないかとか、ジッポーにしたって、当時ベトナムジッポーというのが流行っていて、そんなのがゴロゴロある。それも戦火の中から残ったもの。呪われていてもおかしくはない。そんなことを離しながら先輩と整理したりの毎日。だから、オールドルアーとかも、怨念が詰まっているものもあると思いますよ。
では、なぜそんなミリタリーなものがたくさんあったのかというと、社長さん、ミリタリー大好きだったのです。というか、もともとは軍事カメラマンだったのです。写真集も出してました。それは資料を整理しているときに見せてもらって知ったのですけど…… ベトナム戦争に取材に行っていたのです。そんなこともあって、我々兵隊社員は社長の歩調号令にしたがって
社内を行進することもしばしば。足が揃ってないと叱られました。そんなこと会社でしたことある人は、本当に少ないと思われます。これも貴重な体験としておきましょう。
会社という組織に属している人は多いと思いますが、基本的に仕事は嫌なものです。だから、人間に恵まれていないという人はアンラッキーです。たまたまオイラは人に恵まれた。だから、いまもこうして仕事をしていられるのでしょう。エイ出版社に入り、釣りの仕事に携わり、つまらないときもあった。けど、オイラに楽しく仕事をさせてくれたのが、いまお付き合いのあるルアービルダーの皆さんだったり、このトップウォーター業界の人たちだった。だから、トップ堂は全身全霊を向けて取り組まなければならないプロジェクトだったのである。だから、トップ堂は釣り方よりも、魚よりも、釣り人に焦点を当てた構成となっている。そう、個性豊かな釣り人たちを多くの人に知ってもらいたいから。彼らが何を考えて生きているのか? 何を考えて物を作り出しているのか? そんな釣りに携わる人間をクローズアップした雑誌を作りたかったのだ。魚とはしゃべれないし、道具ともしゃべれない、唯一、言葉というコミュニケーションを使えるのが釣りに携わる人間だけだから……