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2006年6月27日 (火)

Vol.300 6月27日 いつの間にやら300回

「体調、直りつつある?」とか
「何か事件でも?」……
知り合いから仕事のお得意先まで、
連絡すると言われちゃいました。
心配おかけしてたんですネ、申し訳ない。
確かにボクも、いつもチェックしているブログで
毎回更新されている間隔を過ぎてるのに更新がないと、
“何かあったんだろうナァ”なんて
勝手に思いを巡らせてるかも。

実は先々週からの風邪(インフルエンザだったらしい……)に耐え、
先週の新卒入社第2次試験を西湖で1泊2日過ごしたり、
土曜日のツインリンクもてぎでのライパ前日に、
このサイドリバーで限定販売する WHITE HOUSE CB750 cafeの
足まわりセッティングをしていたり、
そしてライパが終わってから
群馬のBMWディーラー「モトパーク」へ直行して
日曜日に午前と午後の2回フォーラムと、
体力だけでなく、時間にも余裕のない日々を
まっしぐらに突進してました。

Daytona で、気がついたら9日以上も更新せずじまい。
しかも今度でこのKen's Talk2って300回じゃないですか!
というわけで、木引カメラマンに撮ってもらった
デイトナのバンクを300km/hで駆け抜ける
愛車グッツィの勇姿でお祝いデス。
(実際は230km/hちょっとですけどネ、
本気にする人がいるといけないので念のため)
とはいえ、ライダースクラブ本誌のKen's Talkはもう388回目。
月刊誌なんで28年かかってますが、まだ追いついてないのかァ。
Webのほうは2000年の2月7日からだから、6年強です。
ンー、何だかんだと6年もやってきたんだ……。
なんて、勝手に思いに耽っております。
で、次回はまだ終わってない「深いバンク角って Part-4」に戻りましょう。
エッ、明日は前号のリベンジ企画、
朝からタイヤ・テストのロケだって?

2006年6月18日 (日)

Vol.299 6月18日 深いバンク角って Part-3

Photo_272 そう、ココでパーシャルしない我慢、
ちょっとでもスロットル開けると
旋回の軌跡がフワッと外へ膨らんでしまいます。
この一瞬の我慢の直後、すかさず徐々にではなく
明確に後輪が路面を蹴る駆動トルクを与えはじめ、
後はイケるとこまでスロットルを大きく捻る……。

'80年代のレーサーレプリカ時代、
つまり2スト250や4スト400に没頭したライダーは、
たとえばスロットルを戻したときの
マイナス側に働く駆動力が走りに影響してなかったこともあって、
リーンから旋回が安定した区間、
加速も減速もしないパーシャル・スロットルで駆け抜けるのが
軽量で排気量も大きくないバイクの定番でしたよネ。
しかし4ストのビッグバイクとなると、
スロットルを戻している間に
マイナス側の駆動が後輪のグリップを強めていて、
その旋回の強さにパーシャル・スロットルが入ると
駆動力がキャンセルされた分、旋回力も弱まるわけです。
だから、スロットルを戻したまま
コーナリング・スピードが落ちても構わないというくらいの気持ちで
ほんの一瞬、我慢しましょう。
このちょっとの我慢で、次にグィッとスロットルを開けはじめたとき
曲がり方が弱まらず旋回力がキープされる感じがわかります。


なんてコト、こだわっていれば
バンク角の深さになんぞ気持ちはイキません。
で、これに慣れてくると
リーンするきっかけの進入スピードを
ちょっと高めにできるようになるだけでなく、
リーンする瞬間の最初の向き変えする際の
身体の重心の位置関係に、工夫次第で差がつく予感がするはず。
話の組み立てが前後しますが、
思いつくまま綴るブログなのでそこはご容赦。
次回はそのリーンの瞬間にこだわってみます。

2006年6月16日 (金)

Vol.298 6月16日 深いバンク角って Part-2

そりゃー、50度以上バンクしてるのに
まだまだグリップします的な旋回を体験すると、
確かに最新テクノロジーの勝利というか
その恩恵をうけてる気がして感動します。
路面さえ良ければ、寝かせば寝かすほど曲がるって
言い切れるパフォーマンス。
凄い!のひと言に尽きます。

2005_daytona_nemoto でもネ、そのままスロットルを開けると
バンク角を浅くした状態で開けたときほどグイグイとは曲がれません。
エンジンパワーない状態だとクルリと強烈に曲がれても、
さすがに車体を支えるほうでグリップを使いきっていて
駆動力が加わるとスリップしないまでもダラダラと大回り。
最近のMoto GP見てると、
スロットルを開けるタイミングで車体をクッと起こしてますよネ。
駆動力でリヤタイヤが押し潰され、
グリップ強めて曲がり方が強まる、
そんな反応のほうが攻めた気がします。
ましてや一般公道はサーキットのようなグリップはしません。
だから立ち上がり重視のライディングスタイルが
コントロールしている感じも強くお奨めです。
で、この基本をどこのコーナーでも自然に演じられるようになってから、
次のステップへチャレンジです。
やりがちな、開けはじめる直前までスロットルをパーシャル、
つまり加速も減速もしない、半端に開けた状態を維持する
'80年代のレーサーレプリカを乗り込んだ世代のスタンダードとでも言いましょうか、
これだと曲がる力が弱まるのをどーするか、なんですネ。
まだ終わりませんヨ。

2006年6月15日 (木)

Vol.297 6月15日 深いバンク角って Part-1

Photo_255 補助輪ついてるので、コケません。
でも曲がれない……。
バイクは寝かすほど「曲がる」
コレ間違ってはいません。
でも、全面的に正解とは言い難い……。
てなわけで、バンク角について
ちょっと考えてみません?

と言いながら、ボーッとしてきた脳みそと格闘中。
どうやらブルスカで風邪をこじらせたらしく、
一昨日から夜になると37〜38度あたりまで発熱。
珍しく早寝してました。
つい先日の新聞によれば、
夏風邪といわれてきたのはどうもインフルエンザらしく、
いま北海道と東北で流行ってるようですネ。
ということは、GL1800のシートやグリップのヒーターで
ぬくぬくとしてたつもりが、
北海道ツーリングから持ち帰っちゃった?
おまけに遂に本格的な梅雨に突入で、
バイク乗りには憂鬱な毎日。
そうそう、月曜日のタイヤテスト、
東京は雨が止んでましたが、
ワインディングのある山間部は霧雨で中止。
次号には間に合いません。
とまァ、ついてない日々に埋没中です。
そういえばタイミング悪く障害発生で
ブログも更新し損なってました。

オット、脱線しすぎ。
さてバンク角ですが、コーナーで深くバンクしてないと
つまり浅いバンク角だと、
愛車の機能を使いこなせていない感じがして
ストレス溜めてませんか?
その気持ち、よ〜くわかります。
イイ歳こいて膝を擦ってみたいとか、
せっかくバイクに乗ったのだから最高の醍醐味を味わいたい、
それって理屈抜きに誰でも持っている素朴な願望ですよネ。
とはいえ、果たしてタイヤがちゃんとグリップしてくれるのか
不安でなかなか思い切れない……。
この怖さを克服する方法、ありませんかネ、
ライパで必ず聞かれる質問のひとつでもあります。
膝を擦るほどアグレッシブにライディングしてみたい、
どうしてもその思いを遂げたいと思われるなら、
ぜひライディングパーティでサーキット走行してみてください。
一般公道では無理、無茶、無謀、そう言い切っておきます。
それにバンク角が深ければ、一番曲がれるわけではありません。
旋回というバンクしたままの状態は、
普通のワインディングであればそんなに長い時間続きません。
それより、リーンを開始するその瞬間の向き変えのほうが、
コーナリングアプローチでは重要だからです。
曲がりはじめる最初の部分で、
どれだけバイクの進行方向をイン側へ向けられるかが
旋回中の速度を高いままキープできるか、
そしてその後のスロットルを開ける時間の長さを決めます。
ボクはといえば、一般公道ではバンク角はどうでもよくて、
どれだけバイクまかせの時間を減らせるか、
そこにいわばゲーム性を見出して遊んでます。
てなトコロで続きはまた。

2006年6月11日 (日)

Vol.296 6月11日 '60年代に追いかけた夢 Part-3

'60年代を懐かしんで止まらなくなった、
なんて書いたものの
詳細を思い出しはじめると、
実はココに書くのを躊躇するような
厳しいハナシのほうが次から次へと湧きだしてきて、
ウ〜ン、と唸っちまってるのが正直なトコロ。


Photo_242 このブログになる前のKen's Talk2で、
以前、昔話を綴っていた時期があって
皆さんのご要望で弊社刊行の文庫シリーズに
まとめたコトがあります。
そのときも表に出しにくい部分は
結局、避けて書くしかありませんでした。
技術面でもまだすべてに経験不足だった
日本のメーカーですから、
壊れてからでないと本質がわからない。
乗るほうにすれば「ライダーはモルモットかよ!」と
叫びたくなるほど危険な毎日。
Photo_243 いまならエンジンや車体も、
シュミレーションで検証して初期トラブルを解決してから
テストライディングされるのが常識ですが、
シリンダーとピストンの焼き付きはもちろん、
ミッションが突然ロックしたりブレーキが割れたり
何の前兆もないままマシンから放り出される、
なんてこともありました。

ゴメンナサイ、ちょっと暗すぎましたかネ。
てな感じで、また書く気になったら
'60年代の思い出話し、再開します。
明日はライダースクラブのタイヤテストに引っ張り出されることに。
お天気、大丈夫なんすかネ。

2006年6月10日 (土)

Vol.295 6月10日 ブルースカイヘブン

'60年代に追いかけた夢 Part-3、は明日以降に。
Photo_234 今日は富士スピードウェイに
ハーレーダビッドソンが大集結した
「ブルースカイヘブン」のご報告。
毎年よくぞここまでと感心する
大盛況ぶりまで発展したブルスカ、
今年も全国から続々とハーレー乗りが集まり
Photo_235 週末を出店ブースでの買い物や
スタントライディングやカントリーソングのコンサートなど
各種イベントで楽しんでました。
子供たち用の遊戯施設も充実しているというか
電動バイクやポニー(馬)に乗れたり等々
Photo_236 普段から各地で開催してきたイベントのノウハウを
積み上げてきた「家族で楽しめる」よう
そこを重点的に意識した設定はさすがです。
年間に11,000台以上も新車が売れる、
ビッグバイクではトップセラーのハーレー首位独走は
Photo_237 当分揺るがないでしょうネ。
国産メーカーはもちろん、どのメーカーも
ここまで徹底したイベントづくりはできていません。
なかでも圧巻だったのは
富士スピードウェイのコース上をパレードした1,000台。
Photo_238 難易度の高いコトをしないと参加者にはウケない、
そんな風に思いがちですが、
ハーレーのイベントはそこから違ってます。
今夜はキャンプで大盛り上がりしてることでしょう。

ところで会場を歩いていたら、
どこかで見たことのある顔の二人連れに声をかけられました。
誰かと思ったら、何と30数年ぶりの高校のクラスメイト。
ビューエルに乗ってるんだそうです。
「エ〜、バイクに乗ってるんだ」
『お前んとこの雑誌、読んでるゾ』
こういうの一番嬉しいんですよネ。

2006年6月 9日 (金)

Vol.294 6月9日 '60年代に追いかけた夢 Part-2

日本のバイクメーカーが
世界へそのパフォーマンスをアピールしようと
挑戦を始めたのが、まさに'60年から。
有名な本田宗一郎の「マン島T.T.出場宣言」が、
実は先進性を追いすぎて不振に陥ったホンダの起死回生のため
従業員からパーツサプライヤーまで、
不安の目をそらすのが目的と
業界では本気にしなかった、なんて逸話も聞いたことがあります。

Rc160 それはともかく、'59年の浅間火山レースで
250ccの4気筒(DOHCベベルギヤ駆動!)がデビューウィン、
その勢いでドゥカティやMZ、ジレラやMVアグスタ等々が
しのぎを削る世界GPへ進出、
4気筒が'65年には6気筒になり、
Rc166_1 35PS/14,000rpmは60PS/18,000rpmへと進化、
全面撤退する'68年までの僅か9年間、
矢のように駆け抜けていったのでした。
その真っ只中に16歳からライダーとなったボクは、
毎年、いやシーズン途中でさえモデルチェンジしてしまう
まさに総力戦の凄まじさに魅了されてました。

とくに50ccや125ccの小排気量マシンは、
気筒あたり25ccの2気筒や5気筒という
時計のような超精密マシンと言われ、
これを操るには繊細な感性が必要といったイメージが強く、
ボクは350ccや500ccに興味ありませんでした。
将来の夢は50ccか125ccでマン島で勝つコト。
Ka2 その夢かなって、間近で見たGPマシン……
カワサキの125ccV型4気筒に
オートポリスで一緒だった金谷秀夫選手が乗ってました。
50cc並みの14段ミッション、
同じ排気量のヤマハが9段だったのに比べると
後発だったカワサキはそれだけパワーバンドが狭かったってわけです。

その金谷選手を最初に見たのが'66年の富士スピードウェイ。
いまAHRMAでボクの目標レジェンド、
ヤマハTD-2を駆るギャリー・ニクソン選手と
A1r A-1Rを駆ってのデッドヒートは凄かった。
その後ヤマハへ移籍しましたが、
カワサキ時代、駆け出しだったボクに優しく声をかけてくれたのは
いまも忘れられません。
今回のオートポリスでは懐かしいヤマハのエースだった頃と
Photo_225 同じデザインのツナギを着て、
抜かれざまに目に焼き付いた少し猫背の実際より長身に見える
あのライディングフォームもそのまま。
驚いたというか、感激しました。
同じくA-1Rで全日本を走るようになったボクのライバルには、
A1r_3 名高きヨシムラの開発ライダーで
その後モリワキエンジニアリングを創設した
森脇護選手(画像の右)もいました。
なんて、思いつくまま綴ってたら止まらなくなっちゃった……。
もうちょっと思い出に浸らせてくださいませ。

2006年6月 7日 (水)

Vol.293 6月7日 '60年代に追いかけた夢 Part-1

とくに大きなテーマに取り組んでいないのに、
日々雑務に追われてるほうが余裕がない……
なんてコト、ありますよネ。
更新したくてもその寸暇がない、
で、瞬く間に過ぎてしまったこの4日間。

続きが書きたかったのは、
前回触れた御大“片山義美”選手が活躍してた
ボクを魅了し、レーサーになろうなんて
とんでもない決心をするまで素敵だった
'60年代世界GPマシンについて。
Rk67 ご覧の'67年型スズキRK67は
水冷50cc2スト・ロータリーバルブ2気筒で、
何と18PS近くを17,500rpmという
当時ではピストンスピードの限界まで高回転チューン。
その結果、パワーバンドが極端に狭く
これを繋ぐにはミッションが14段という途方もない仕様。
Ejrll 同じく後発で追いかけてたのがブリヂストン。
そう、タイヤメーカーがバイクをつくってたんです。
これもほぼスズキに近い仕様で
マフラーのテールパイプにはいまのようなサイレンサーがなく
小指が入らないほど細かったナァ……
ホンダがまた凄くて4ストロークで同じく2気筒、
但し空冷で20,000rpm以上も回し
小排気量では絶対優位な2スト勢に対抗してました。
この繊細で美しいマシンを操るGPライダーは、
間違いなく選ばれし人たち、
てな感じで、日本GPを口を開けっぱなしで観戦してたのが
そもそものきっかけ。
実際その当時のマシンは……
て、まだまだ続けたいのですが、
今日は触れないでは済ませられない件があるので
また明日以降に先送りします。

昨日、マン島T.T.に参戦していた
前田淳選手が亡くなられたのは
新聞各紙の報道などでご存じだと思います。
公道レース、ボクが世界GPに遠征していた'70年代中盤では
まだベルギーGP、チェコGP、ユーゴGP、フィンランドGPが
週末だけ一般公道を閉鎖してレースを開催してました。
エスケープゾーンもなく、電柱にクラッシュパッドが巻かれ
両脇の人家の塀に並べられたワラ束の列……。
いまマン島に行っているキャプテン竹田津のブログにある画像から、
その当時と変わらない様子が伝わってきます。
あの頃はコケたら命にかかわる重症を負うリスクを意識しつつ、
GPライダーはサーキットとは違う走りで闘ってました。
それでも必ず誰かが命を落とすため、
どの国もサーキットを建設、
その後、世界GPから外されたマン島だけが残ったというわけです。
しかし、だからといってボクは公道レースを全面否定しません。
いや、公道レース云々ではなく、
AHRMAで走った飛行場の滑走路を使う場合でも
同じようなリスクがあるものの、
そこは相応に楽しむペースさえ守っていればOKだと思ってます。
走りたくない人は走らなければ良いだけ……。
以前のように世界選手権に組み込まれ、
好むと好まざるにかかわらず“走らなければならない”のでなければ、
ひとつの価値観としてアリだと考えるからです。
ただ事故が起きると、厳しい結果を突きつけられます。
残念……その言葉しか見つかりません。
日本人でただひとりマン島T.T.レースに燃えていた前田淳選手。
ご冥福をお祈りします。

2006年6月 2日 (金)

Vol.292 6月2日 片山義美さんがどんなに凄かったか……

お目見えしましたネェ、デスモセディチRR。
相変わらずいかにも高そうな雰囲気づくりがうまいナ〜、
とつくづく感心。
それにロッシが来年度もヤマハと契約というか、
噂されてたフォーミュラ1に行ってしまうのではなく
Moto GPに残るという発表。
今週はこのふたつの発表から、
エネルギーをもらえた、そんな気がしません?

Photo_209 さてさて、早いものでもう1週間。
オートポリスで一緒に走った大先輩や仲間に後輩のなかで、
初めて背中を見たのはたったひとり。
他の方々は、全日本を戦った頃や最近では鈴鹿8耐でも
顔を合わせる、いわばお馴染みばかり。
そう、ボクにとっては雑誌の写真でしか見たことのない
憧れのライディングフォームを
しかもサーキットのコース上で拝めたってわけ。
“片山義美”さん。
シルバーのクロムウェルに神戸市の錨のマーク、
当時メジャーだったフォスパイクのゴーグルではなく
横へワイドに広がった独得のゴーグルが印象的だったなァ。
「とくにこだわったわけじゃない、ただ競っているとき、横がワイドに見えたほうが優位だった」
意を決して質問したら、意外に呆気ない答えでした。
'60年代の中盤、スズキのGPマシンを走らせたら絶対的な強さを感じたっけ。
2気筒の50cc、4気筒の125cc、そしていまのMotoGPほど大きかった4気筒250cc、
あの華麗でパワフルなライディングは忘れられない。
とくに誰にも乗りこなせないと言われた、
スクエア4エンジンの250ccは、
コーナー立ち上がりでフレームからスイングアームまで、
見ているほうが恐ろしくなるほど揺れまくってました。
それを豪快に乗りこなした唯一のライダーが片山義美さんだった……。
いや〜色んなコト思い出したゾー!
こりゃァ、続くってことで。

根本健

  • 1948年東京生まれ。小学生から鉄道に飛行機と、オタク街道まっしぐらだったのがナゼかバイクの道へ。ロードレースに憧れ'73年全日本チャンピオン。'75~'78年に世界GPにチャレンジ。帰国後ライダースクラブ編集長となり28年間雑誌づくり人生。最近はビンテージバイクにもハマり、レースやツーリングに楽しみを広げている。

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